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コラム


相手の文化に入り込むということ~上原浩治の挑戦~...院長:武居純【2013.11.5】
 
臨時休診をはさんだため、5日ぶりのコラムの更新になります。
この間に、私にとっては最高に幸せな出来事がありました。

海の向こうアメリカで、私の第2の故郷であるボストンを本拠地とするボストン・レッドソックスがワールドシリーズを制し、晴れてワールドチャンピォンになりました!
しかも優勝の瞬間のマウンドに、日本人のピッチャーがいるなんて、これまでには考えられないことでした。

上原浩治。苦労人の雑草魂。
本当に、本当に、どエライことをやってくれました!

上原投手は、メジャーリーグに行ってからの数年間、ケガなどが原因で思うような結果を出すことができずに大変苦しんでいました。
ボルティモア・オリオールズもテキサス・レンジャーズでも結果がでずに自由契約に。
そして3球団目の移籍先が、ボストン・レッドソックスでした。

しかし、ボストンに来てからの上原投手は、これまでの評価をいい意味で大きく裏切り、やがてチームには欠かせない「絶対的守護神」となりました。

もちろん、これまでの苦い経験から、メジャーで生き抜く投球術を身につけ、メジャーの球にも慣れてきたのでしょう。
しかし、これまでの2球団での上原投手とは決定的に違うことが、ひとつだけありました。

それは、自らすすんでチームの中に溶け込もうと徹底して努力したこと。
上原投手は、はじめから日本語通訳を介さずに、チームメイトやファンとのコミュニケーションを積極的にとっていきました。

彼が選んだコミュニケーションの手段は「High Five」、日本でいう「ハイタッチ」です。
上原投手は、自らすすんでチームメイトたちと、そして球場の外に出てファンたちと、ハイタッチをすることをコミュニケーションのきっかけとしていき、そこから英語での会話に挑みました。

正直言って、上原投手の英語はかなりヒドイらしいです。
でも、たとえ英語が下手でも、それがコテコテの日本語なまりの発音でも、文法むちゃくちゃでもいいんです。ただ単語を並べるだけでも、身振り素振りだけでもいいんです。
大切なことは、失敗を恐れずに相手の文化に入りこんでいくという「勇気」です。

この、異国の地で一歩前に踏み出す「勇気」。
これが実に大変なことであるということは、私も痛いほど経験してきました。

私がボストンで生活していた6年間の間、最初の数年間は、英語を母国語としない海外からの留学組とばかりツルんでいました。
ネイティブの生粋のアメリカ人の中に入り込んでいくのが怖くて仕方ありませんでした。
私の下手な英語をバカにされそうで、彼らから上から目線で見られていそうな気がして、いつもビクビクしていました。

しかし、とあることがきっかけで、黄色人種であるという人種的な劣等感や、英語が下手であるというコンプレックスをすべて取っ払って、勇気をもってアメリカ人のコミュニティーの中に入り込んでいってから、私のアメリカ生活が大きく変わったのです。

やがて彼ら(アメリカ人)は私を、ひとりの人間として、歯科医師として、受け入れてくれるようになりました。他のアメリカ人と全く同じように扱ってくれるようになりました。
私が、アメリカで認められた瞬間でした。

上原投手も、きっと私と同じような「アメリカで認められた瞬間」を、このチームで経験されたのではないかと、私は先輩面をしながら勝手にそう解釈しております(笑)

やがてその上原投手のハイタッチの儀式は、試合に勝った直後のド派手なパフォーマンスとして全米中に知られるようになりました。

チームメイトたちとド派手なジャンピングハイタッチをして、最後は4番のデビッド・オルティズの肩に担がれ持ち上げられるという一連のパフォーマンス。
これを見るのを楽しみにしているレッドソックスファンが、日に日に増えていきました。

また、たとえば試合中、ブルペンで肩を作っているときなども、
「俺はもう老人なんだから、おまえら若いのがもっと頑張ってくれよ~!」
と日本語なまりの下手クソな英語で、他のピッチャーたちを笑わせているそうです。

これと真逆な例だったのが、数年前までレッドソックスに在籍していた松坂大輔投手。
彼はどんなときでも日本語通訳を介さないとチームメイトや球団関係者とは一切会話をしないという徹底ぶりだったそうです。

「やあ、おはよう!元気かい?」そんな挨拶ですら、通訳を介さないと松坂投手と話ができなかったチームメイトたちが、彼を受け入れるはずがありません。
あとは皆さんもご存知の通り、結果が出ないシーズンが何年も続いた後、静かにボストンを去っていきました。

日本以外の国で認めてもらうには、実力だけでは通用しない部分もあります。
その国の文化を理解し、その国の人々をリスペクトし、勇気を振り絞って、自分からその国の文化に入り込んでいこうとするその姿勢こそが、成功の鍵を握る大事な要素なのです。

上原投手は、苦労してもがき苦しんだ末に、そこに気付いたのではないかと思います。
そして、3球団目となるここレッドソックスでそれを実行に移し、チームメイトとファンの心を掴み、結果的にこれ以上ない最高の結末を迎え、そして彼は、ボストンのヒーローとなりました。

上原投手、おめでとうございます。
アメリカに来て、認められて、そして歴史に名を刻めて、本当に良かったですね。

あなたは私たち日本人の誇りです。
大きな大きな夢を、ありがとう。

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